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何歳の頃だったか、田舎のおじいさんの家で宮沢賢治の「どんぐりと山猫」を読んだことを、今でも鮮明に覚えている。まだ漢字が読めない頃でルビを頼りに読んだ。以下抜粋「・・・ね床どこにもぐってからも、山猫のにゃあとした顔や、そのめんどうだという裁判のけしきなどを考えて、おそくまでねむりませんでした・・・そこはうつくしい黄金きんいろの草地で、草は風にざわざわ鳴り、まわりは立派なオリーブいろのかやの木のもりでかこまれてありました・・・空が青くすみわたり、どんぐりはぴかぴかしてじつにきれいでした・・・やまねこはまだなにか言いたそうに、しばらくひげをひねって、眼をぱちぱちさせていました・・・」日本語は美しい。日本文学が大好きになったのは、この宮沢賢治の話を読んでからだったのだろう。映像は見て聴いてしまったら、それ以上はない。だが、文字が奏でる世界は自由で果てしない。デザインも同じ。心が創り出す無限の世界。